東京雑記

‐Tokyo Miscellaneous Notes‐

サルトル「出口なし」ーそれでも朝はくるー

 

f:id:Tokyo_BBS:20180824141651j:plain

サルトルの傑作「出口なし」。この作品を大竹しのぶ、段田安則、多部未華子の3人で演じられる。人間の根幹にふれる不条理劇をベテラン俳優がどう演じるか、楽しみ。

 

あらすじ

とある一室に、それぞれ初対面のガルサン、イネス、エステルの男女3人が案内されてきた。この部屋には窓もなく、鏡もない。これまで接点もなかった3人だったが、次第に互いの素性や過去を語り出す。ガルサンはジャーナリスト、イネスは郵便局員、そして、エステルには年が離れた裕福な夫がいたという。それぞれがここに来るまでの話はするものの、特に理解し合う気もない3人は、互いを挑発し合い、傷つけ合うような言葉をぶつけ合う。そして、この出口のない密室でお互いを苦しめ合うことでしか、自分の存在を確認する術もない。なぜ3人は一室に集められたのか・・・。
ここで、彼らは何らかの救いを見出せるのだろうか?  

(公式サイト「SIS company inc. Web / produce / シス・カンパニー公演 出口なし」より)

 

東京公演

日程 2018年8月25日(土)~9月24日(月・休)

会場 新国立劇場 小劇場

 

運よくローチケにてチケットをとることができた。観劇後、感想を追記する。

 

観劇後の感想

まず第一に、大竹しのぶさんは天才であり、素晴らしい。多部未華子さんは、ぶりっ娘の役なのだが、少し力を抜いて、大竹さんに呼応した感じになると、なお良かった。。終始、段田さんも取り込んで、「場」を支配し続ける、大竹しのぶ。平易な口語で、グッと観客をとりこむ。ソファに寝転がるという行為も、自然に邪魔にならないで、行う。「大竹しのぶ」なのに、「イネス」がそこに生きていた。

 

イネスの目を通して、臆病者のガルサンや空っぽのエステルが観客にも明らかにされていく。欲を言うと、ガルサンやエステルが取り外していく、イネスの殻を、最後まで破り切れなかった感じがある。舞台上は、「大竹イネス」に完全に支配されてしまっていた。必死に抗う段田ガルサン。完璧に操られるエステル華子。

様々な解釈があると思うが、個人的な解釈では、「出口なし」は、不条理の喜劇であると思う。この後の段田ガルサンとエステル華子の仕上がりで、この舞台はもっと素晴らしくなると思う。

 

観客について

さて、客層が平日の昼ということで、年齢層が高かった。芝居を見慣れている層なのか、お芝居好きなこの年代の人が結構いるのだ、と認識した。こういうことはやはり劇場に来ないとわからない。勉強になった。この客層も冒頭の笑いが少なかった事に起因するのだろうか。 

観劇後に思ったこと

本編の感想とはまったく関係ないが、観劇後に帰路につきながら、思った事がある。

この「出口なし」の状況に陥ることがサラリーマンには一度や二度あるのではないだろうか。たとえば、上司に連れて来られたスナックやキャバクラで、見ず知らずの人(フロアレディの女の子)と話をしなくてはならない。仕事上のつきあいの上司の前だから、建前の殻をかぶってしゃべるし、相手の女性も、ほめちぎってくれるが、営業トークでしかない。早く帰りたくても、上司の手前帰れない。無益な時間を過ごす会話が続く。上司が酔っぱらったら、延長延長のコール。それでも朝はくるし、会計は来るから。その地獄から始まるのは、現実の地獄なのだ。女の子と交換したLINEやメールで、やりとりして、また訪れてしまう地獄。女の子やお店の名刺が奥さんに見つかる地獄。カードの支払いが来る地獄。そんな「出口なし」が待っている。この現実の不条理の悲劇を、喜劇にしてくれる、サルトルの「出口なし」。今度は戯曲を読んでみよう、と思う。