東京雑記

‐Tokyo Miscellaneous Notes‐

「消えていくなら朝」残る違和感

話題になっていた「消えていくなら朝」を観劇。

「消えていくなら朝」とは、

新国立劇場 開場20周年記念 2017/2018シーズン
「消えていくなら朝」
時代をつかむ劇作家・蓬莱竜太と芸術監督・宮田慶子がタッグを組み、「現在」を描き出す書き下ろし作品!

 

年間、新国立劇場の芸術監督として、流行に惑わされずに演劇的な「太い幹」とつながる作品を選んできた宮田慶子が、その最終作品に、と熱望したのは、時代をつかむアンテナアイコン、と絶大な信用を寄せる劇作家・蓬莱竜太。とある家族を通して、仕事や日常生活というそれぞれの人生と、家族として断ち切れない絆の中で、生きていく幸せを問う渾身の新作です。どうぞご期待ください!!

 (公式サイトより引用)

あらすじ

家族と疎遠の作家である定男は、五年ぶりに帰省する。作家として成功をおさめている定男であったが、誰もその話に触れようとしない。むしろその話を避けている。家族は定男の仕事に良い印象を持っていないのだ。定男は切り出す。

「......今度の新作は、この家族をありのままに描いてみようと思うんだ」

家族とは、仕事とは、表現とは、人生とは、愛とは、幸福とは、親とは、子とは、様々な議論の火ぶたが切って落とされた。 本音をぶつけあった先、その家族に何が起こるのか。
何が残るのか。
 (公式サイトより引用)

新国立劇場開場20周年記念公演「消えていくなら朝」公式パンフレット

「消えていくなら朝」感想

家族の葛藤や憤りを描いた作品。これまでも、山田太一の「岸辺のアルバム」、井上ひさしの「 父と暮らせば」、テネシー・ウィリアムスの「 ガラスの動物園」など、家族を描いた傑作は多数ある。家族のありのままの姿をあぶり、異物により、守ってきた「家族」という偶像が破壊されていく。しかしこの作品は、最終的な結論が保留されている。

 

家族とは何か?

「家族」とは何か?その制度そのものに疑問を持ち、突き詰めるならば、 偶然の出会いの集合体が、「家族」であり、社会的な責務を負わされる最小の集合体である。

 

「消えていくなら朝」残る違和感

戯曲の話に戻るが、「家族」と「愛」の話は別であり、作中で定男が言う通り、 すべての家族は暴力的である。「普通の家族」という偶像は、ドラマが作った偶像であり、現代に、そんなものは、存在しない。(と思う)

 

現代社会において、「家族」の誰かが鬱や精神的、肉体的な障害を抱え、痴呆の親の介護があり、 誰かが宗教にハマり、 誰かは離婚をし、 誰かは借金を作り、 私の周りは、そんな家族の人ばかりだ。

作者は、「私戯曲」というふれこみで、この作品を発信をしている。「私戯曲」は構わない。それを作品に 昇華させる為にも、 作者は、真正面から様々な人を見て、創作をすることが必要だと思う。

足りなかった異物混入

暴力的な集合体 「家族」から「個人」を 解放するまでに この作品は至らなかった。

「岸辺のアルバム」の洪水や、「ガラスの動物園」のトムの役割。家族という偶像を破壊する役割を本来、定男の彼女が務める役だったと思う。しかし彼女は自己肯定と定男の自我への疑問を呈するに留まり、破壊をすることはできなかった。他の可能性としては、離婚原因となった兄の浮気相手を最後の一瞬だけ異物として登場させることもできただろう。これは定男が少し気付いた部分で、「愛」は「宗教」よりすごい。と考えたことに通じる。より人間的な皮肉であり、人間の生命の強さを表現できる可能性はある。兄が宗教よりも、その女性に惹かれたという事実であれば、そこには破壊的な魅力がある。そういう破壊的シーンがないので、ラストシーンは夜のまま、一人でリビングにいる定男が「考える」「これまでと」「これからを」「考える」と呟き、終演を迎える。

これについては、暗転して、誰もいないリビングに朝が来てもよかったのではないか、と考える。現状の物語では、異物が混入されておらず、破壊されていないため、もしかしたら、繰り返しの気持ち悪い朝がくるだけの可能性もある。

 

創作家の仕事とは何か?

さて、作者が作中に幾度か、兄のせりふとして、自問されていた事。創作家の仕事とは、何か。私が考えるに、それは現実を受け止め、かつ、希望を与えることである、 と思う。つまり、それが定男が掴むべき課題ではないか。

例えば、メタファーとして、この作中の母の宗教の本も、父が増築した家も、妹のガラスケースも、兄の自尊心も、定男の 卑屈な愛情を求める感情も、すべては「家族」とは幸せの象徴であり、「無条件に愛さなくてはならない」暴力装置の象徴である。

作中でこれらのモノを破壊しなかったのは、演出の判断か、戯曲の判断か、今は、知る由がない。

蓬莱竜太への期待

「そして、船は行く」のように、人生は続くのだよ、というメッセージでも良かった。それはこのタイトルが「消えていくなら朝」ならば、朝を描く必要があったのだ。作者の描きたかった朝は、見たくない現実だったのだろうか。

翌日の、リビングに誰もいない「朝」が描かれて、この作品は完成するのではないか。

 

岸辺のアルバム (光文社文庫)

岸辺のアルバム (光文社文庫)

 
ガラスの動物園 (新潮文庫)

ガラスの動物園 (新潮文庫)

 
父と暮せば (新潮文庫)

父と暮せば (新潮文庫)