東京雑記

‐Tokyo Miscellaneous Notes‐

僕らは『ウォーカー』の中にいる。

『ウォーキング・デッド』の教訓

U-Nextなどで観ることができる「ウォーキング・デッド」。

アメリカのドラマである。

新たな幕開け

近未来の世界が舞台で、ゾンビになる感染症が蔓延した世界を生き延びた人たちが生きる姿を描くドラマ。『ウォーキング・デッド』の社会がこのパンデミックの後の社会になるのだろうか。 

ゾンビ映画と思われている「ウォーキング・デッド」だが、これは人類の全員がかかった感染症の話だ。資本主義の社会はなくなり、物資は奪うものとして、描かれる。社会生活を営む、コロニーでは、農業を営み、裕福になる。社会を形成し、各自に仕事を割り振る。医療関係者は貴重な人材である。軍人も貴重な人材だが、なぜか長生きしていない。そういえば、主人公のリックは警官だった。

集団に入るためには、質問をする。

「何人殺した? ウォーカーの数、人間の数」

これに答えなくてはならない。

 

すべてが利己的な社会では、信頼は勘に頼るしかない。

集団の中で法はできるが、生存欲求のないものには意味がない。

 

外にはゾンビがいるのだ

外には強いものしかでてはならない。しかも最大限の注意を払って。

ウォーカー(ゾンビ)たちは、個体では弱い。簡単にコツを掴むとやっつけられる。しかし、群れになると抑えられない。covid-19と同じではないだろうか。体力がない人は、個体にもやられてしまう。しかし体力があるものは、ウィルスよりも強い。怖いのは、ウィルスが集団になった時なのだ。自分がウォーカーだと思って、外出して、目の前の人がウォーカーだと思って、眺めてみよう。

ウォーカーが集団にいたら、どうなる?

コロナウィルスは完治するウィルスである。無症状の人もいるが、世界の全員がこの感染者としたら、発症をおさえるしかない。発症したら、ウォーカーになってしまうのだから。その解決策は、今はない。

その社会で必要な職業やサービスとは?

社会はこの新型コロナの感染症により、変容する。

エンターテインメント業界はどうなるか、考えてみたい。

 

・エンターテインメント業界は、コロナ戦争中の活動は厳しい。

 

・身体的接触を必要としないコミュニケーションツールの発達

 

・必要な物資は高価になる。

 

・ソーシャル・ディスタンスを保てる空間づくり

 

リアルイベントについては、早くても、3年はかかるだろう。勿論、徐々に、大手から活動は再開されるが、末端のほうまで活動がいきわたるには、5年、10年とかかるかもしれない。

 

iPhoneの画面で楽しめるコンテンツ

紙の本で読む書き方と、iPhoneで読む書き方は、同じではない。

映像も、映画館で観る最適化された映像と、iPhoneで観るサイズで最適化された映像は異なる。テレビサイズも同様。

 

テレビでミュージシャンが歌うときに、「テレビサイズ」という言葉がある。フルサイズでなく、Aメロ、Bメロ、サビ、アウトロという感じでサイズをカットしたものだ。

これはテレビの視聴時間や番組サイズにあわせて、サイズを短くしたものである。

YouTubeの画面に顔しか映っていない映像が成立するのは、iPhoneサイズだからであり、テレビ画面で観たら、きつい。

iPhoneサイズに適した画角のエンターテインメントができるのだろう。

 

行動変容がもたらす社会構造の変化

未来を見通すことはできないが、これだけは言える。コロナで社会は変容する。

未来は現在の延長線上にある。もうまったく同じ元の生活には戻れないのだ。